山車のはじまり
病や災いを鎮める祈りの象徴
全国各地で行われている山車の祭りのはじまりは、京都の祇園御霊会(祇園祭のはじまりとされる神事)だといわれています。
昔は、流行り病や災いは御霊(恨みを残して死んだ人の怨霊や疫神)のたたりのせいでおこると考えられていました。長い鉾や高い木、山をかたどった飾り物などに御霊を依り付かせて川や海に流したり壊したりして霊や疫神を町の外へ送り出そうとしたのが山車の祭りのはじまりだと考えられています。
“つるがの山車”のはじまり
つるがの山車の発祥は定かではありませんが、室町時代末期頃には存在したといわれます。都の文化の影響を受けたとみられ、神の依り代として松の木を立てることや山を模した飾りが付けられるといった共通点など、山車の姿にも、その影響を見ることができます。
市内の寺院に残る古文書には、1575年(天正3)に織田信長が見物したと記されています。当時の状況を考慮すると言い伝えの域を出ませんが、少なくともその頃すでに、敦賀に山車が存在したと考えられます。
つるがの山車巡行の変遷
高さ9mを超える松の木を、どーんと乗せた大山もありました
“つるがの山車”は、湊町の繁栄を背景とした町衆の財力と心意気を示すものであり、幕末頃の最盛時には大小合わせて30~50基もの山車が曳き出されていました。
江戸期
気比社の氏子である12町が東西に分かれて隔年で山車を出しました。1つの町から1つ出す「大山車」と、個人や数人の組合が奉納する「練り物(小山車)」がありました。
気比社の祭礼は、宵宮が8月2日、本祭が3日と4日に行われ、宵宮には紙細工の屋台が、3日には小山車、4日は大山車と小山車が曳き出されました。
大山車は、狭い道では幅いっぱいになるほど大きく、軒先を壊したり、ケガ人が出たり、角を曲がるのにも難儀したといいます。依り代の松は、大木を根本から伐ったもので高さが9m以上、幹回りが90㎝を超える大きなものが立てられたといわれます。
小山車は、祭りの名物ともいわれ、毎年趣向を凝らして作られました。人形飾りの題材は中国故事や合戦物が人気で、鎧兜や馬具は本物を用い、衣装や幕類は、錦や金襴銀欄、美麗な刺繍のものなど、贅を尽くした装飾品が使われました。
明治期
明治維新の影響もあり、山車行事も大きく変化していきます。1873年(明治6)、大山車が廃止され、小山車を町の山車として4日に曳き出すことになります。数は1町1基として、12町が毎年12基を出すようになりました。山車巡行がなくなった3日には、気比社の神輿(御鳳輦)が巡幸し、山車町以外の町からも神輿が繰り出され賑わうようになっていきます。
また、太陽暦の導入により祭礼の日が変更されました。1875年(明治8)以降は、一ヶ月遅れの9月3日~4日の祭礼日が定着し、現在もこの日程で行われています。
明治期には、町名・町区画の変更や不景気、大火等により、山車の数や山車町が幾度も変更される中で山車巡行が維持されていました。
昭和のはじめ
昭和のはじめには、世界的な恐慌による深刻な不景気のため、東西組の隔年巡行を復活させ、山車の数を減らすなどして継続しましたが、戦争で中断を余儀なくされます。
1937年(昭和12)日中戦争が始まると、巡行を中止し飾り山車のみの祭礼となり、1943年(昭和18)には飾り山車も中止されました。
敦賀は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20)7月に空襲を受け、市街地の約8割が被災しました。山車も多くが焼失し3基だけが残されました。
戦後から現在
戦後しばらくは山車巡行も中断を余儀なくされましたが、町の人達の強い思いが、苦難を乗り越え山車の巡行を復活させます。昭和57年に3基揃っての巡行が叶うと、さらなる山車の復元を望む声が高まりました。昭和54年に設立された“つるがの山車保存会”が山車の保存と、埋もれた山車の資材の発見・収集に尽力した結果、個人や町が所有していた山車の台車2基分と部品が見つかり、人形甲冑や幕類も多数残されている事が判明しました。
平成6年、これらの部材や装飾品を基にして、不足部分を新規に制作し、3基の山車の復元が実現し、戦前の巡行の姿を取り戻すことができたのです。この年からは、6基の山車が毎年の祭礼を賑やかに彩っています。
山車の歴史年表
山車の歴史年表(クリックで年表を表示します)
西暦 | 和暦 | できごと |
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※室町時代の終り | つるがの山車が誕生する。(今から450年くらい前) | |
1575 | 天正3 | 織田信長が山車を見物する。(伝説) |
1603~ | 天和3 | 山車があまりに豪華だったため、高価な飾りの使用が禁止され、 山車の大きさや高さ、小山の数が制限された。 |
1873 | 明治6 | 大山車を廃止する。 小山車を町の山車として4日に曳き出すようになる。 (1町1基で、毎年12町から12基) 太陰暦(旧暦)から太陽暦(新暦)に変わる。 |
1875 | 明治8 | 祭礼日が8月から9月に変更される。(旧暦9月→新暦9月) |
1895 | 明治28 | 気比社が「氣比神宮」になる。 不景気のため、東西6町に分かれて1年交代で6基ずつ出すことにする。 |
1937 | 昭和12 | 日中戦争がはじまる。山車巡行は中止になり、飾り山車だけとなる。 |
1940 | 昭和15 | 氣比神宮遷座祭(6/21)に山車10基巡行。太平洋戦争前、最後の巡行。 |
1945 | 昭和20 | 7月、敦賀が空襲を受け、山車の大部分が焼失する。 (御所辻子、唐仁橋、金ヶ辻子の3基が残る) |
1947 | 昭和22 | 敦賀観光協会、敦賀商工会議所が「商工祭」を行う。 |
1950 | 昭和25 | 大金区の山車が戦後初めて巡行する。 |
1953 | 昭和28 | 商工祭が「つるが祭り」と呼び名を改める。 蓬莱の山本伝兵衛(あみや)から屋台を譲り受け、神楽の宵山が復活する。 |
1956 | 昭和31 | 町の統廃合で132町から46町になる。 山車を曳き出す町(牛腸組合)は、相生町、蓬莱町、元町、桜町の4町になる。 |
1959 | 昭和34 | 元町の誕生を記念して、大内区の山車を巡行する。 |
1961 | 昭和36 | 唐仁橋山車が敦賀市指定文化財になる。 |
1962 | 昭和37 | 大金区が山車を売却し、大塚末子さん(大金区出身)が購入する。 |
1970 | 昭和45 | 大塚末子さんが敦賀市に山車(金ヶ辻子山車)を寄贈する。 翌46年、市文化財指定。 |
1978 | 昭和53 | 御所辻子山車が復活し、19年ぶりに巡行する。昭和55年、市文化財指定。 |
1979 | 昭和54 | 金ケ辻子山車が巡行する。 「つるがの山車保存会」設立。 山車の保存と資材の発見収集にあたった結果、 個人や町から山車の台車2基分と部材が発見される。 |
1982 | 昭和57 | 唐仁橋山車が加わり、3基で山車巡行が行われるようになる。 |
1984 | 昭和59 | 旧東町に人形甲冑や幕が残されているのが確認される。 |
1994 | 平成6 | 発見された部材を基に、鵜飼ヶ辻子、東町、観世屋町山車の3基が復元される。 この年より山車6基での巡行となる。 |
1996 | 平成8 | 伊勢神宮内宮御鎮座2千年「をみなのまつり」で巡行(鵜飼ヶ辻子) |
1997 | 平成9 | みなとつるが山車会館完成。5月開館。京都まつり’97で山車巡行(3基) |
2002 | 平成14 | 大阪御堂筋パレードで巡行(御所辻子、金ヶ辻子、鵜飼ヶ辻子) |
2006 | 平成18 | JR敦賀駅前 特別展示 JR敦賀駅までの直流化記念 |
2007 2012 | 平成19 ~24 | 水引幕を復元新調する。 ・御所辻子山車(19~20) ・唐仁橋山車(21~22) ・金ヶ辻子山車(23~24) |
2011 | 平成23 | 雨天のため山車巡行中止。(1978年(昭和53)山車巡行復活後初の中止) H25、26、H30(台風21号)も雨天中止。 |
2013 | 平成25 | JR敦賀駅前 特別展示 オルパーク完成記念・駅前全面完成(H27) |
2019 | 令和元 | 日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~(H29.4.28認定)」 構成文化財に“氣比神宮祭礼の山車”が追加認定される。 |
2020 | 令和2 | 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、敦賀まつり中止。 唐仁橋山車の全解体・組み立てが行われる。(山車総合調査の一環) |
氣比神宮の祭礼と山車巡行
【牛腸祭(ごちょうさい)】・・・6月16日
氣比神宮の12の氏子地区の中で、牛腸番となる地区を決める神事であり、本来は牛腸番町から選ばれる牛腸宿で山車の巡行順を決めるくじ引きを行うものでした。牛腸宿を務めるのは人格、財力の兼ね備わった者でなければならず、選ばれるのは大変名誉なことでした。
現在は、13の町によって牛腸祭が行われています。
【宵宮祭(よいみやさい)】・・・9月2日
翌日からの祭に備えて執り行われる前夜祭。大鳥居前に御影堂前(みえどうまえ/現:神楽町)の宵山が曳き出されます。その舞台上では、笛や太鼓のお囃子が奏でられ、子ども達のかわいらしい日本舞踊が奉納されます。
【神幸祭(しんこうさい)】・・・9月3日
例大祭の前日、神の神輿である御鳳輦(ごほうれん)が、猿田彦を先導に犬神人(つるめそ)と呼ばれる武者、稚児、騎馬等を伴って市内を巡幸します。また、氏子の各町内からは大人神輿・子供神輿が出されます。
【例大祭(れいたいさい)】・・・9月4日
702年(大宝2)、仲哀天皇と神功皇后を御祭神として合祀したといわれる日(旧暦8月4日)に執り行われる年間最も重要な祭典。この例大祭に合わせ、町衆が山車を曳き出すのがつるがの山車巡行です。大鳥居前でお祓いを受けた山車が揃って勇壮に巡行し、祭りを盛り上げます。
〜氣比の長祭り(けいさんまつり)〜
9月2日の宵宮祭から始まり、3日の神幸祭、4日の例大祭、5日からの後日祭、10日祭を経て15日の月次祭で終わる“長祭り”として知られる氣比神宮の祭礼。現在は、これに合わせた日程で市民参加のパレードや民謡踊りなどの行事が行われ、「敦賀まつり」とも呼ばれています。