宵山よいやま(神楽町)

祭礼の幕開け!子ども達の太鼓や三味線、踊りが奉納されます

 氣比神宮例大祭の宵宮には、神楽町から宵山が1基出されます。宵山には舞台があり、氣比神宮の大鳥居前でお祓いを受けた後、子ども達が舞台上で日本舞踊を奉納して幕開けとなります。その後は神楽通りを巡行し太鼓や三味線のお囃子も披露されます。宵山は夜になると提灯がともされ、祭礼の前夜祭を盛り上げます。

 かつては、御影堂前町(現在の神楽町)のほかに紙屋町から紙細工の曳山が出されていましたが、明治時代に廃止されました。

 第二次世界大戦の戦災(1945年/昭和20 敦賀空襲)では、宵山も焼失しましたが、北前船主でもあった商家が所有する山車を譲り受けて復活し、さらに個人から幕一式を譲られ、豪華な装いとなっています。

~神楽町宵山の幕~

 宵山を飾る幕は、水引幕、胴幕ともに全面刺繍の大変豪華なものです。中国故事から題材を採った図柄で、水引幕には「二十四孝」の物語、胴幕には「竹林の七賢人」の場面が描かれています。物語の場面が表現された刺繍の胴幕は、ほかの山車にも残っておらず、山車の歴史を知る上でも大変貴重なものです。

江戸時代の町名紹介 ◆御影堂前町(みえどうまえまち)◆

 お砂持ち行事で知られる遊行上人像を安置する御影堂のある西方寺があったことから、このように呼ばれました。後に神楽町となるように、気比社の門前町としてもにぎわいました。