山車展示室(スクリーンシアター)

敦賀は古代から続く天然の良港であり、また、北陸と畿内を結ぶ交通の要衝でもありました。
明治時代になり、日本でも鉄道が敷設され始めると、敦賀にもいち早く駅が置かれ、1889年(明治22)には敦賀-長浜間の路線が米原まで延長したことで、日本海側で唯一神戸・東京とつながる町となりました。さらに、敦賀港は1899年、開港場の指定を受け、外国との貿易が始められました。また、1902年にはロシアのウラジオストクとの直行便が就航しています。1912年には、新橋(横浜)-金ヶ崎間で欧亜国際連絡列車の運行が始まり、東京から敦賀、敦賀からウラジオストック、ウラジオストックからシベリア鉄道でヨーロッパ各国と結ばれた大陸の玄関口となりました。
そんな鉄道と港のまち、敦賀に生まれたのが大和田銀行であり、ここに残されているのが、旧大和田銀行本店本館です。

山車展示室/山車装飾品(甲冑)

敦賀は古代から続く天然の良港であり、また、北陸と畿内を結ぶ交通の要衝でもありました。
明治時代になり、日本でも鉄道が敷設され始めると、敦賀にもいち早く駅が置かれ、1889年(明治22)には敦賀-長浜間の路線が米原まで延長したことで、日本海側で唯一神戸・東京とつながる町となりました。さらに、敦賀港は1899年、開港場の指定を受け、外国との貿易が始められました。また、1902年にはロシアのウラジオストクとの直行便が就航しています。1912年には、新橋(横浜)-金ヶ崎間で欧亜国際連絡列車の運行が始まり、東京から敦賀、敦賀からウラジオストック、ウラジオストックからシベリア鉄道でヨーロッパ各国と結ばれた大陸の玄関口となりました。
そんな鉄道と港のまち、敦賀に生まれたのが大和田銀行であり、ここに残されているのが、旧大和田銀行本店本館です。

旧大和田銀行社屋/敦賀と北前船/敦賀城主大谷吉継

 特別展や企画展がない時期の展示室は、基本的に通史的な展示をしています。
 海岸線が深く入り込み、波穏やかな敦賀湾は、天然の良港として多くの船の休憩所として、また、敦賀の南側に位置する琵琶湖の湖上交通も利用して、関西地方や東海地方もその商圏としてきた敦賀の歴史は、「みなと」とともに、また「みなと」を中心として展開しており、これに沿って古代から中世、近世末頃までの時代ごとのトピックや資料を紹介しています。
 古代は敦賀に人が住み始めた頃の遺物や弥生時代の生活を物語る土器、古墳の副葬品等を展示しています。
中世から近世にかけては古文書や書籍の他、絵馬や絵図などの複製図を展示し、資料を入れ替えながら通史的に構成しています。