北前船について

「日本遺産のストーリー」

【荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落】

 北前船は、江戸後半から明治前半にかけて、北海道(蝦夷地)から東北、北陸を経由して大坂を結び、北海道の昆布やニシンを西日本にもたらし、西日本からは綿織物や砂糖、塩といった、それぞれの土地の特産などを、各地で商いながら運航しました。北前船は、単に物流を担っただけでなく、各地の物資を遠隔地へ運んで販売し、その価格差によって莫大な利益を上げる「総合商社」のような存在といわれます。

 日本海や瀬戸内海沿岸に残る数多くの寄港地と船主集落、それを構成する文化財群が、北前船の壮大な歴史を今に伝えるストーリーとして日本遺産に認定されています。

北前船交易と敦賀湊

 敦賀湊は、古来より北国の物資が京都などへ運ばれる際の中継地としての役割を果たし栄えてきました。

 江戸時代前半(17世紀中ごろ)に西廻り航路が整備されると、敦賀を経由せずに運搬される物資が増え、敦賀湊への入船は減少します。その中で、蝦夷地に進出していた近江商人が扱う松前物の荷揚げが増えていきます。松前藩の漁場での交易権を独占した近江商人の荷物を運ぶ船を、敦賀を含む北陸の船主達が“運賃積み”で運営していました。

 やがて、蝦夷地が幕府直轄となり近江商人の独占が崩れると、船主自身が商品を仕入れ、遠隔地で販売する“買い積み”による交易を行うようになっていきます。こうした商法を行う船や船主が「北前船・北前船主」と呼ばれます。各地の船主たちは、買い積みと運賃積みを並行して行ったり、近距離の航行で商いを行うなど、それぞれの才覚と多様なやり方で利益を生みました。

 敦賀湊でも、北前船によってもたらされた財力が、山車をはじめとした地域の伝統文化を維持する資金となり、明治以降の近代化の礎となっていきます。

「日本遺産(Japan Heritage)」とは

~我が国の文化・伝統を語るストーリーを認定~

 地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語る「ストーリー」を文化庁が認定するものです。ストーリーを語る上で欠かせない魅力あふれる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。

『文化庁HPより』

 個々の文化財そのものではなく、有形の文化財を含む様々な構成要素から形作られる地域の歴史ストーリーそのものが認定対象となるのが特徴です。

 敦賀市では、2つのストーリーが日本遺産に認定されています。

【荒海を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~】
北前船寄港地・船主集落

認定:2017年(平成29)
   2018・2021年(平成30・令和2)追加認定

【海を越えた鉄道~世界へつながる 鉄路のキセキ】

認定:2021年(令和2)