つるがの山車で唯一、女性が曳く山車
敦賀の山車の多くは、第二次世界大戦の戦災(敦賀空襲 1945年/昭和20)で失われました。戦後、焼け残った3基の山車の巡行が順次復活した後、さらなる山車の復元を望む市民の熱意が実を結び、1994年(平成6)に復元された3基のうちの1基が鵜飼ヶ辻子山車です。
この山車の台車は、もとは北前船主でもあった敦賀の商人、飴屋治左衛門家が所有していたもので、山車復活の動きを受けて提供されました。柱には「寛政五年八月」(1793年)の墨書きが見られます。
鵜飼ヶ辻子山車は、つるがの山車で唯一女性が曳く山車でもあります。元来、多くの祭礼と同様、つるがの山車行事も男性のみで行われていましたが、山車復元の際に、曳き手不足を解消するとともに、新しい時代の山車として、女性が曳く山車が誕生したのです。武者飾りにも、つるがの山車でただ1体の女性、なぎなたを握りしめる淀殿の人形が飾られています。
~鵜飼ヶ辻子山車の飾り物(現在)~
合戦:大坂夏の陣
武者人形:豊臣秀頼・淀君・真田大助
~鵜飼ヶ辻子山車の水引幕~
鵜飼ヶ辻子山車を飾る水引幕の3面には、鮮やかな花鳥画の刺繍が施されています。この幕は、個人が所有していたものを山車復元の際に譲り受けたもので、翼を広げて飛翔する鳳凰や松の木に止まる鶴の親子、餌を啄む鶏の家族など、大変美麗でおめでたい図柄が、山車の華やかさを引き立てています。
江戸時代の町名紹介 ◆鵜飼ヶ辻子町(うがいがずしまち)◆
昔、若狭の早瀬から鵜飼が来て住み着いたので、この名が付けられたと言われています。